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一期一曾

2011.04.27  お葬式

 ここ数年の間に、「お葬式」のスタイルが大きく変わってきている。「お葬式」という言葉が、当てはまらない「お葬式」。つまり、葬儀業界では、「直葬」・「火葬のみ」などと呼んでいる「お葬式」です。表現が、あまり美しくないのが残念です。弊社では、それを「自由葬」と表現しております。弊社における、平成17年4月までの「自由葬」の割合は約4割「自由葬」の流としては様々ですが病院~自宅~火葬場のパターンと、病院~保管所~火葬場のパターンと、病院~火葬場のパターンなどが御座いました。きっとこれからも、「自由葬」の割合は増していくことでしょう。「自由葬」を選ばれる方々の理由としては、お葬式を行わないで欲しいという故人様の遺言であったり、ご費用を掛けたくないという経済的な根拠であったり、心ある家族だけで送りたいという気持ちを重要視された場合などがあげられます。弊社では、ご家庭の事情に合わせて、お客様なりのご葬儀の形態に柔軟な対応をとっております。
 「お葬式」という元来のもつ意味は、人々の死生観の移り変わりから大きく変化し核家族化が進み、地域社会の協調・共同意識がなくなり、「葬送の儀」に占める宗教という存在が希薄になってきたと感じています。このような変化に対して、お寺の御住職からは、死者に対する「葬送・儀礼」の大切さをこれからの若い世代に伝えていく必要があると伺うことがあります。都内のある寺院では、布教活動に真剣に取り組んでいるところもあります。「お葬式」において、何が大切なことなのか?何が必要なことなのか?・・答えを探すとき、果たして本当にこれでよいのかと考えさせられる事が時々あります。時代が変れども、身近な方への、大切な方への「心からのありがとう」を送る葬送の心は不変だと信じております。 新聞紙面には、「死の個人化」という言葉を目にします。今年の3月の朝日新聞には、【-共同体の崩壊-以前は地域共同体の中に癒してくれる人もいたが、姿を消した。オウム事件は共通の価値観で共同体を形成しても、問題を解決できないことを示した。その結果、個々人が「生きづらさ」を解決する道を探らざるを得なくなった。-「自殺系サイトの参加者は決して死にたい訳ではない」-身近に相談相手がいないから、ネットに向かう。すると自分のつらさを分かってくれる人がいる。メールのやり取りは、ほとんどが匿名。自己紹介でもすれば、友人関係になり、自殺を止め合うようになる例が多いという。】とある。 死が個人化する背景には、国・社会・地域・家族・・・と身近なコミュニケーションの場が少なくなりすぎたのでしょう。皆様は、どのようにお考えになりますか?家族、親戚、友人、ご近所、会社の仲間、ご先祖様とお話をする時間が少なくなっていませんか?少しだけお金をかけて仲間とお茶を飲む余裕・電話でお話しをする余裕・ご親戚のお宅へお出かけする余裕・月に1度はお墓参り行く余裕をもちたいものです。ご近所の一人暮らしのお年よりは、お話し相手が欲しいと申しておりました。お顔を拝見したら「こんにちは」と必ず声をかけてお話をしています。 (憲)

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投稿者 渥美家本店 (17:32) | PermaLink
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