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一期一曾

2011.05.06  救われたこと。

 人には、それぞれに人生があり、それぞれの環境があり、それぞれに家族があり、それぞれの仲間がいる。
人はこの世に生を受けてから、親の愛情に包まれ育っていく。兄弟がいる人は、そこにも愛情があらわれ大人になっていく。学校に通えば、先生からも愛情をうけて育っていく。そして、沢山の友人ができて、友情という家族とは違う愛情のかたちを知ることもできる。
人には、こうした出会いが沢山ある。
親や親戚、おじいさんや、おばあさん、友人、先生、仕事の仲間、町の仲間、と沢山の人との出会いがある。
楽しいとき、笑うとき、苦しいとき、痛むとき・・、互いに分かち合い支えあって生きている。
人と人の直接的な出会いもあれば、人と人の関係には間接的な出会いもある。
たとえば、映画の主人公を見て容姿に憧れて好きになることもある。直接会うことが無くとも、他のツールから情報を得たり、写真を見たりして人と出会うことがある。これも一つの出会いであろう。
また、こんな出会いもある。
それは、素敵な書物に出会うこと。
例えば、初めて子供の頃読んだ伝記の本。
本を書いた人は主人公とは別人で、主人公の過去の存在を知り、その主人公の発見や経験を知って心の奥深くに感銘を受けて、記憶のなかに印象強く描かれること。これもまた、一つの出会いのかたちであろう。

 人が人に優しくできるときとは、どんなときだと思いますか?
目の前に困っている人がいるとき? それとも、好きな人や家族に対してだけですか?
私は、いつも思うんです。人が人に優しくできるとき、それは、自分自身も何かの要因で心が弱くなっているときで、自分自身も優しくされたいと感じているとき。そんな、時ではないでしょうか。
自分自身が弱っていたら、人に対して優しくするなんて余裕がないと考える人もいるかもしれません。
しかし、そこが大切なんです。
つまり、自分自身が弱っていたり、悩んでいたり、困っているからこそ、人に対しても優しく出来るんです。
同じ立場で、近い立場で気持ちを感じ取ることができるんです。
だから、人の立場で物事を考えられることを知っている人。人の立場で、物事を考えられる人。
その様な人間でありたい、その様な人間になろうと考えて生きていかなければいけないのだと思います。
そうすると、世の中は不思議なものでまさに「捨てる神あれば、拾う神あり」なんです。

 苦しいときに、困っているときに、こんな言葉に出会いました。
それは、私にとっては正に「青天の霹靂」ともいうべき、サヨナラ逆転満塁ホームランみたいなものでした。

『人生に行き詰まりはない』
  人の世でも自然界でも
  全ての現象は
  必要があって起こっている
  苦難や行き詰まりは
  飛躍のためのスプリングボード
  にっちもさっちも
  行かなくなった時こそ
  チャンス到来
  正しい生活の筋道に即して
  自分を変える
  絶好の機会だ
  打つ手は無限
  つねに活路あり

これも、一つの出会いです。出会うことの、素晴らしさを知り、出会うことの、感動を改めてかみしめた瞬間でした。(憲)

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投稿者 渥美家本店 (13:20) | PermaLink
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